(01-04)

1−4 沿革・会史


出来事 年度
1.設立 昭和24年
2.財団法人に改組 昭和47年
3.リハビリセンターを開所 昭和52年
4.第1回禁煙キャンペーンを展開 平成元年
5.住之江会館に移転 平成3年
6.西区三洋ビルに移転  平成29年 



(1)阪喉会と私

                       阪喉会顧問 佐藤 武男  (大阪府立成人病センター 名誉総長)
                       (「阪喉会五十年史」(平成12年6月1日発行)の序より抜粋)

 私が医師になりましたのは敗戦後の1952年のことですから、すでに50年近くになります。阪喉会が1999年に創立50周年を迎えたのですから、私の医師生活と殆ど重なっています。 阪喉会は日本で最初に結成された喉摘者の会で、しかも同病者ボランティア(同じ病を克服した人々が後輩の同病者を援助する)の先達となったのです。その頃はボランティア、リハビリテーション、福祉などのことばは成熟していなかったのです。私は阪喉会の独立自助の精神を高く評価しています。




(2)阪喉会の設立


 原爆の惨劇をもって幕を閉じた第二次世界大戦の終焉から日も浅く、大阪市の玄関口である梅田界隈は、一面のバラック小屋と屋台が連なる闇市場に人々が溢れていた昭和24年の年の瀬近く。その梅田地区に程近い福島区堂島浜通り2町目に建つ大阪大学附属病院耳鼻咽喉科の診療待合室で、この歴史は芽を吹きました。

 喉頭全摘出術を受けた患者同士が、定期検診の後、主治医の吉田祺一郎先生を囲んで、お互いの経験や工夫を語り合う場があればと同病者の会を作ろうとの話が進展し、吉田先生を相談役に、奥村松之助、須賀義文両氏を幹事に選び、翌昭和25年の5月に阪大病院大食堂で、日本のみならず、世界最初の第一回喉摘者の会設立総会が開催されました。
 会の名称は吉田先生が、「阪喉会」と名付けられ、総会には約30名の出席者がありました。

 以来、当会は、会員の増加と共に発展し、当時の第二の声の主流であったタピア式人工喉頭の改良研究が急激に進展する中、会設立の主旨とされた「会員(喉摘者)相互の親睦、社会生活を通じた福祉の向上を図ると共に、医学的観察と研究に寄与する。」ことを目的に着実に根付き、成長を続けることとなりました。




(3)阪喉会の歩み(年表)

阪喉会 年表
年度 足 跡(出来事)
西暦 和暦
1949年 昭和24年 12 阪喉会設立
1950年 昭和25年 5 第1回総会(設立総会)、出席者約30名、於.阪大病院大食堂
1951年 昭和26年 5 第2回総会、出席者約50名(同伴者を含む)、於.阪大病院大食堂
1952年 昭和27年 5 第3回総会、出席者60余名、於.阪大病院大会議室
○タピア式人工喉頭の改良・研究が会員の間で活発になり、会話の上達者が目立つようになる。
○会誌の発行が決議され、準備に入る。
1953年 昭和28年 6 第4回総会、出席者100名(同伴者を含む)、於.阪大病院大会議室、「阪喉会誌」創刊
12 阪大病院耳鼻咽喉科待合室の一隅に「喉頭癌相談所」を開設。毎週水曜日に幹事が交替で出張し相談に応じる。
(続 く)